山岸 俊之展【わたしが しんで しまっても】
5/26金 ー6/1木 11:00~18:00 最終日17:00
山岸 俊之
1953 埼玉県飯能市生
1977 個展・藍画廊
以後・なびす画廊、コバヤシ画廊、ギャラリー檜、等で個展
また、弘前市、川越市、上田市、鎌倉市、等で個展
2020 個展・ギャラリー檜
2022 個展・ギャラリーKINGYO
展覧会中のブログ
「わたしが しんで しまっても」
アルミ製の印刷用紙にインクジェットプリント 2017年
私の母はたった5才でひとりぼっちになり、となりの町へもらわれて行った。
そのことを子供らにはいっさい話さなかったのだと、母の葬儀の後ではじめて私は知った。
帰るあてもなく、ひとり電車に乗りいつまでも降り続く雪を見ていた。
楽譜にインクジェットプリント+色鉛筆でドローイング 342×260mm 2023年
海が近いカトリック教会に隣接して、かつての結核療養所があった。
5月の陽光を浴び、中庭では若葉が萌え立っていた。「光あれ!」
その時の風景を19世紀の楽譜にプリントし、生きている息づかいのように色鉛筆を走らせる。
クリスティーナ・ロセティーの詩「SONG 私が死んでしまっても」(1848年)
「死」と「生」は対極にあるのではなく、同時に在る。そのことをカタチで残す、終活としての個展。
アルミ製の印刷用紙にインクジェットプリント 2017年
私の母はたった5才でひとりぼっちになり、となりの町へもらわれて行った。
そのことを子供らにはいっさい話さなかったのだと、母の葬儀の後ではじめて私は知った。
帰るあてもなく、ひとり電車に乗りいつまでも降り続く雪を見ていた。
楽譜にインクジェットプリント+色鉛筆でドローイング 342×260mm 2023年
海が近いカトリック教会に隣接して、かつての結核療養所があった。
5月の陽光を浴び、中庭では若葉が萌え立っていた。「光あれ!」
その時の風景を19世紀の楽譜にプリントし、生きている息づかいのように色鉛筆を走らせる。
クリスティーナ・ロセティーの詩「SONG 私が死んでしまっても」(1848年)
「死」と「生」は対極にあるのではなく、同時に在る。そのことをカタチで残す、終活としての個展。